紙喰い奇譚

「喰われてるものの共通点があればわかりやすいがな」
 そう言いながら積まれた本の背表紙を見てみたが、少なくとも目貫に縁のあるものはない。
 あらすじを読めばと思ってもそれすらも喰われている。
 よほど喰いごたえがある本なのか、それが目貫にはわからない。
「資料のようなものではなさそうだし、あのじいさんは絵空事の集まりと言ってたのなら喰われたのはそういうものだけってことか」
 もちろん、この店にまだあるそれを喰らい尽くして消える保証はない。
 目貫にとって価値のある本までこうなる前に止めたいというのが嘘偽りのない本音だった。
 本の価値は人による。
 どれだけ人気があろうと名作と賞賛されていようと、それを求めてない人間には無価値でしかない。
 そしてそれは、なにも本に限ったことではないのだ。
「まあ、あんまりじいさんを困らせるのも本意じゃないしな」
「おや、あのご老体とそんなに仲が良いんですか先生」
 元村がいなくなったからか、からかうように聞いてくる相手に目貫は睨んだ。
「それなりに長い付き合いなだけだ、講師になるより前からな」
「先生にしては信じられない長さのお知り合いですね」
「扱ってる本の質がいいからな」
「我欲に忠実なのは素晴らしいと思いますよ」
 本心からではないことを見透かすように助手が嗤うのは無視した。
 本の古さからして目貫は知らないが長らく人気のある物語たちなのだろう。
 古典童話などは民俗学に通じるので目を通すが、それ以外のものはどれほどの名作でも目貫は自分で読むものを選べるようになって以来、課題などで必要だったもの以外は読んでいない。
 ただ、それらが一定数の人々には愛されていることは理解できる。
「愛されてた、支持されてた、か」
 考えながら目貫は似たような本が並んでいる棚に向かう。
「ずいぶん目立たない場所に置かれてるんですね」
「この店に来るようなのにはほとんど必要がないからな」
「なら、店に置く必要はないのでは?」
「冷やかしが来ることもあるし、資料以外のものもたまには買うやつもいる。店によってはたたき売り同然のところもあるが、あのじいさんはそういうのが嫌いなんだよ」
 そんなことを話しながら目的の棚の本を見る。
 どれもタイトルくらいは目貫でも知っているものがほとんどだ。
「この棚のものが喰われてるなら元凶もここにある可能性はあるな」
「先生の知らない世界がこんなにあるんですねえ」
「減らず口をたたく暇があるならさっさと探れ」
 目貫の言葉に相手は嗤い、そして愉快そうに棚に並んでいる本に指を向けてそれを動かし出した。「ははァ」
 そうしていたのはほんの僅かの間、その指が止まった先にあるものを目貫は取り出した。
「なんだ?」
 それは率直な感想だった。
 手にしたそれは、本ではなかった。
 古びたというほどではないがそれなりに年数は経っているだろうノート。
 目貫の手にあるのはそれだった。
「なんでこんなものがある」
 言いながら目貫はパラパラとノートに目を通した。
 どうやら内容は端書き、おそらくだが創作の断片だろう。
「創作ノートというやつか?」
 縁もゆかりも無いものなので目貫には判断がつかないが、ところどころに創作とは関係のない走り書きが見つかった。

『こんなものでは到底――』
『どうしても理想には程遠い――』
『いっそ――』

 そこに、目貫の目が止まった。
 文字はそれだけが別のもので書かれたのか暗い赤色をしていた。

『いっそ物語など存在しなければ苦しむこともなかったのに』

「⋯⋯馬鹿か?」
 思わず顰め面でそう吐き捨ててしまった。
 自分の力不足を悩むのは自由だ、それでも諦めきれないのもありふれたことだ。
 だが、それを行おうと、自分もそうなろうと目指し叶わないと絶望しその出会いを悔い呪った挙句、八つ当たりのように他のものまで消え去れなど呆れる以外ない。
「救えん馬鹿だな」
 そう切り捨てて目貫はそのノートを持って店の主に声をかけた。
「じいさん、あったぞ」
「ほんとか?」
「こいつだ」
 そう言って元凶のノートを渡し、しばらくその中を読んでいた元村の反応は、しかし目貫とはまったく違うものだった。
「⋯⋯馬鹿だなあ、こいつは」
 そこには明らかに憐憫が含まれていた。
「逆恨みで被害を被ったのにそんな顔するもんかね」
「お前にはわからんよ」
 その言葉にかすかにムッとする。
「ああ、わからんね。おそらくはこのノートの書き手が元凶なのはわかる、そのせいであんたの大切な本が喰われたのもわかる。なのになんで、あんたは犯人を赦そうとする?」
 言い放った目貫に向けられた目は物事を知らないものを見る目に感じて気に入らなかった。
「なりたいものになれなかった人間の気持ちは、お前にはわからんだろうよ」
「なんだそれは。まるで俺が挫折知らずの成功者みたいじゃないか」
「そのほうがマシだ。お前はそもそもなにかを心から欲しがったこともないだろ」
 なにもかもわかったような言葉に顔を顰めたが反論することはしなかった。
 目貫はこのノートにあるような情熱とは無縁だ。
 だから、そこに由来する絶望とも無縁だ。
 だが、それでも。
 なにかを言いかけたのを飲み込んで、目貫は呼ばれた用件に対することだけ口にした。
「⋯⋯たぶん、それを燃やせば解決するだろう。喰われたものが戻るかまでは保証できないがな」
「わかった。こっちで供養しとく。ご苦労だったな、礼はそのうちまともなメシの肴を送ってやるよ」
 最後の言葉も目貫には気に食わなかったが、黙って店を出た。



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