お迎えにあがりました

 その日はあいにくの雨だった。
 傘をさして件のアパートの前に目貫は立っている。
「雨の中出かけるのは好かん」
「そもそも外出自体好んでないじゃないですか」
 傘をささずとも濡れることのない隣に立っているものがそう言うのを軽く睨み、時計を見る。
「お前、なんであいつを俺に誘導した?」
「なにやら困っているようなので」
「くだらんことを聞く気はない」
 目貫の言葉に相手はクックと嗤う。
「おもしろくなる気配がしたからですよ、それだけです」
 付き合わされるほうは面倒でしかないが、そんなものを気にするはずもない。
「しかし、僕が言うのもなんですが昔からいましたけどああいう自分のことしか考えない人間というのは同じ人間から見るとどうなんです?」
「あの程度なら掃いて捨てるほどいるから取り立てて言うことはない。あえて言うなら親の教育だのに責任を押し付けるのは馬鹿げてるということだけだな、結局は本人の話だ」
「まるで教育者のようですね」
「笑えん冗談だ」
 そんな話をしている間に、音もなくアパートの前にタクシーが現れた。
『送迎』の文字を確認し、運転席の側に向かって窓を叩く。
 予想よりもすんなりとその窓は開いた。
「……予約車です」
 かろうじて人の形をしている靄のようなものが、擦り切れたテープを再生したような声で言う。
「待ってる相手のことは知ってる。その本人が拒否しててな。断固として乗らんという」
「ですが、他の方は乗せられません」
「仕事に忠実なのは結構だが、このまま同じことを繰り返しても相手の望みは叶わんだろ。代案を出せるかもしれんから連れていくつもりの場所まで乗せてくれ」
 しばしの間のあと、後部席の扉が開き、きちんと『ふたり』乗った後に扉が閉まった。
 そして来た時同様音もなく動き出した。
「流石先生は乗り慣れてますね」
「免許がないんだ、使うしかない」
「バスもあるのに」
「乗ると思うか?」
 埒もない話をしながら窓に映る光景を見る。
 そこには、誰かの記憶なのだろうものが乱雑に流れていた。
 見覚えのある男に金を渡している。その金を稼ぐために必死に働いている。感謝される光景はない。稼いで渡して稼いでの繰り返し。
 やがて金が尽きたのか男が飽きたのか、見えたのは目の前で閉められたさっきのアパートの扉。
 もし、これをあの男が見たとしてどう思うのだろうかと目貫は考える。
(おそらくなにも思わんだろうな)
 そういう心がないものすらもありふれている世の中だ。
「到着しました」
 あらかたの事情を把握できるだけのものが流れたあと、止まったタクシーから降りた先はある意味わかりやすい場所だった。
 電話番号の書かれた古い看板。
 その効果はいったいどれだけあるのか目貫は知らないし、さほど信じていない。
 少なくとも、目貫が用のある相手が留まらなかったのはわかる。
「この下に連れていきたかったわけか」
「死んでまで傍にいたい相手なんですかねえ」
 揶揄するような声にも目貫は答えずにしばらく考えるとタクシーに戻り運転手に告げた。
「相手はここから動けないのか」
「わたしはわかりかねます」
「そうか。じゃあ俺たちが彼女をここから連れて相乗りであのアパートまで連れていくことは可能か?」
「乗車さえしてくださればきちんとお送りします」
「だ、そうだ」
 そう言って目貫は様子を見ていた相手に視線を向け、相手は軽く肩をすくめると崖のはしに立つとその手を下に向けたと思うと無造作になにかを引き上げた。
 手にはなにもないが、なにかを掴んでいるのはわかる。
「さっさと行くぞ。こんなことに長く付き合うつもりはない」
 そう言って先にタクシーに乗り、助手席が姿は見えないままぐっしょりと濡れたのを確認するとタクシーは動き出した。
「それで? 最後まで見届けるんですか?」
「そんな必要あるか?」
「じゃああそこまで戻る必要は僕らにはないんじゃないですか?」
 その言葉に目貫は運転手に声をかけた。
「すまんが、俺たちはあのアパート近くにあるスーパーで降ろしてくれるか。運賃はどうする」
「こちら様にいただいております」
 それで話は終わり、目貫たちを降ろして去っていくタクシーを見送るでもなくスーパーに向かった。
 もちろん、そばを買うために。



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