ことの始まり 中編

「これからどうするんですか、先生」
「聞くまでもないだろ、山に行く」
「ですよね」
 曰くの森の場所も不明では得るものはない可能性が高いが、現地に行くのは基本中の基本だ。
 そこで隠されたなにかを発見できるなんて妄想じみたことは欠片も考えていない。
 ただその場に立つだけでも伝わる由来を感じられることはある。
 伝承を生み出すどんな要因が山にあるのか、それを確かめるあたりが今回は関の山だろう。
 他にも何人かにあたってみたが、そもそも言い伝えを知ってるもの自体がほぼ残っておらず、最初の老婆以上の話を得ることはなかった。
 車で山の麓まで移動し、そこからは徒歩になる。
 普段はほとんど誰も訪れないのだろう、かろうじて道らしいものが半ば草に覆われている中を進んでいく。
「昔は山の神様を祀ってたって話はありましたけど、関係あるんですかね」
「ないと考えるほうが無理があるだろ。どう関係があったかはいまじゃわからんが」
 歩く途中で少ないが放置されたゴミを見た時は顔をしかめた。
 おおかた噂を確かめに来た連中の仕業なのだろうが、マナーを知らないやつらは虫が好かない。
「こういうのって、ここから先立ち入り禁止みたいなのがあるのがお約束ですよね」
「忘れられた場所にそんなものがあるとは思えんがな」
 無駄話をする趣味はないが、話しかけられて無視するのもめんどくさい。
 鬱蒼とした森の中で声がやたら響いて聞こえる。その隙間を縫って枝の揺れる音やなにかしらの鳥の声もする。
「ところで何処まで進むんですか? 下手に深いところに行って遭難とかそれこそシャレにならないですよ」
「とりあえずゴミが捨てられてないところまでは進んでみる。ゴミがあるってことはお前の言うなにもなかったと書いてた連中が踏み込んだところと考えられるからな」
「その先になにかあると?」
「そうは思わん。何故、そこで見切りをつけたのかが知りたい」
 なるほどなあと言いながらザクザクと歩くのはやめず山の中を進んでいく。
 進んでいっても森の様子が明確に変わるような様子はない。
 時折見かけるゴミも変わらない。
 ああいう連中は随分無茶をするもんだなと他人事のように思いながら進んでいると「あれ」と声がした。
「先生、なんか変です」
「なにがだ」
「すごく静かです」
 瞬間、気付く。
 枝のこすれる音、鳥の鳴き声、動物の気配。
 森の中であれば聞こえるもの、感じるものがなにひとつ感じられない。
 なんだ、これは。
 そのときに老婆の言葉が脳裏をよぎった。
 聞こえなくなったら、逃げろ。
 まさか、そんなことがあるはずがない。
 だが、実際いま自分たちの周囲は不自然になんの音も聞こえない。
 なんだ、これは。
 引き返すほうがいいのか迷う暇もなく、それは起こった。
「え? はい、なんですか?」
 突然、そんな声がした。
 同行してたやつの声だが、その問いかけは明らかに自分に向けてではなかった。
 おい、そう呼びかけたいのに声が出せない。
「ああそうですね、確かに赤と青と黒だと迷いますけどやっぱり黒ですかね黒なら見えなくなりますし隠すにはもってこいだと思います」
 なにを話をしているのかもなんの話をしているのかもわからない。
 わかるのは、明らかに目の前にいるやつの状態が異常だということだけだ。
 目の焦点が合っていない。話し続けているのに感情が乗ってない。
 人間としてあまりに不自然な状態のまま、そいつは延々と意味不明のことを空に向かって話し続けていた。
「それは埋めないといけませんね漏れ出すのは問題だと僕も思います。それなら確かにうってつけですね」
 話しながらふらふらとではなく明確な行き先があるように歩き出したあとを慌てて追う。
 やめろと手を掴んで引きずってでもここを出たいのに、何故か相手との距離が縮まらないどころかどんどん離されていく。
 自分だけ逃げるなんて考えは毛頭なかった。自分が連れてきたのだ、連れ帰るのは自分の責任だ。
 勝手についてくるといつも言っていたが、それを許していたのは自分なのだ。
 だから必死に後を追ううちに、それが見えた。
 鳥居だった。
 完全に朽ちて倒れている無数の鳥居が目の前に現れる。
 その中を当たり前のように入って進んでいく姿がかろうじて見えたのでその後を追う。
 鳥居の中を進むうちにぐらぐらと頭が揺れてくる。
 無限に続きそうなそれが終わりを迎えたとき、そこにあったのは巨大な木だった。
 葉はひとつもなく、不気味なほど空に向かって枝を伸ばし、根本近くに大きな虚がある木だった。
「ああこれは大きいですねこんなになるまで放っておいたのはよくないとてもよくないですでもきっとまだ間に合います数は必要でしょうけど埋められます」
 そう言いながら、なんの躊躇いもなく、虚の中に入っていこうとする姿に手を伸ばす。
 やめろ、やめろ、その先に行くな。
「常凪(ときなし)!」
 叫ぶように名を呼んだ瞬間、そいつは……常凪がこっちを見た。
 その目は虚と同様のものになっていた。
「ほら、一緒に行きましょう? 目貫先生」
 そう言われた途端、今更のように脳が逃げろといったがもう手遅れだった。
 視界が、暗闇に包まれた。



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