年季の入ったしっかりした造りの日本家屋に向かい、少し待ってねと言われたので玄関で待つ。
「おかあちゃん、よそから来た人たちがね。昔の村の話を聞きたいんだって」
ことさら大声を張り上げるでなくそう言ったのが聞こえたので耳のほうはどうやら問題ないらしい。
「いいそうですから上がってくださいよ。そこまっすぐの部屋にいますから」
言われた先は居間らしい。そこに、女性の母親という老婆がいた。
しゃんとした姿勢で正座している姿から、年齢がどれほどかはわからないがしっかりした雰囲気が伺える。
「聞かずの森のことを聞きに来たっていうのはあんたらかい?」
「……聞かずの森?」
そう問い返すと老婆は少し首を傾げてこちらを見た。
「なんだい。なにも知らずに来たのかい? 酔狂な人たちだね」
そう言いはしたが気分を害したわけではなさそうだ。
「すいません。この村に古い言い伝えがあるということは調べてあるんですが、その内容についての情報が見つからず。なので、実際にお邪魔して話を伺うのが良いと思ったもので」
「あんた、学者さんかなんかかい」
「そんなものです」
「大学で呪いの研究をしてるんですよ」
余計なことを言うなというのは完全に手遅れだ。
「呪いの。へえ……変わったものを研究するものだね」
「まあ、世の中にはいろいろな人間がいますので」
言いながらお前は黙れと目で伝えておいて話を続ける。
「それならまあ、こういう話は役に立つのかねえ。でも、お山に行くのは勧めないよ」
この辺りは舞台も忠告もオーソドックスなものだ。
「山ですか」
「窓から見えるだろう、あのお山にね、聞かずの森って言われてたらしい森があるらしいんだよ」
「ある、らしい?」
奇妙な言い方に聞き返すと老婆は頷いた。
「森があるのは確かだけどね、何処がその聞かずの森なのかはさっぱりなんだよ」
「そこに踏み込んだらなにかあるというわけですか」
行き方がわからないのならお手上げだが、ひとまず先を促す。
「その森に入ると、自分を呼ぶ声がするっていうんだよ。で、それに返事をしちまったら、戻れなくなる」
「神隠し、という意味ですか?」
「さあねえ。わたしが聞いたのはただ『戻れない』っていうだけでね。ばあさまもその辺りは知らないのか教えたくなかったのかぼかしててね」
どうも、かなり信憑性の低い話のように感じる。
「ちなみに、そういうことをしそうな神の言い伝えなどはあるんですか?」
「まさか。神様っていうのは村を守ってくれるものだろう? そりゃあよっぽど悪いことをして怒らせたなら別だろうけど」
「ということはあの山には神が祀られているんですね?」
「祀るなんてきちんとしたのはもうやってないけれどねえ。お山には神様がいて見守ってくださるとは教わったものだよ」
それはどうだろうと内心でだけ考える。
古今東西、神と呼ばれるものは理不尽なことをするものだ。
気まぐれで人を隠すような話はいくらでもある。
まして、忘れられかけている神の逸話にはろくでもない話があるのは事実だ。
そちらを掘り下げて不興を買うつもりはないので森の話に戻そうとした時だった。
「戻れないっていうのは行方不明になったってことですよね? じゃあ、なんで声に応えたせいだっていうことがわかってるんですか?」
黙ってろと言ったのに横から口を挟んできたやつを睨みつけようかとも思ったが、適切な問いだったので黙る。
「ばあさまから聞いた話だけどねえ、あるとき森に二人連れが入ったんだと。で、片割れだけが帰ってきた」
「ふむ」
「で、帰ってきたほうが言うには森の中でなにかが呼んでいた、それに相方が返事をしたら消えちまったんだと」
こういう『証言』というのは疑ってかかるべきだなと判断し、それによって『森』そのものの存在が一気に疑わしくなる。
なにかが自分を呼ぶ声が聞こえる、という噂は最初からあったのかもしれないし、そんなものは錯覚などで簡単に説明がつく。
しかし、それを知っていたものが森の中でなにかがあって同行者を殺害、それを隠蔽するために森の仕業だという話を作り出したものが広まったという可能性は高い。
「その二人連れ以外にも同じようなことがあったんですか?」
「さあてねえ、聞いた話だとその話を聞いた村の連中は森の中になにかがあると思って、以来森でなにを聞いても聞かずにいろと伝えたって話だけど」
もしかすると類似する事件が他にもあったかもしれないが、いまはもう残っていないようだ。
残ったのは、森の中で聞こえたものに応えてはいけない。これだけというわけか。
「その森に近付いたという兆しというんですかね、なにかを見たらそこはその森の中だから逃げろとか、そういう警告のようなものは伝わってないんですか」
こういうものは警告と同時に対策もセットで引き継がれていることが多いので聞いてみる。
「どうだったかね。ちょっと待ってねえ……わたしも森はこわいところだくらいしか聞かなかったから」
しばらく考えてから「ああ」と老婆が口を開いた。
「聞こえなくなったら、逃げろだったかねえ」
「聞こえなくなったら? なにがですか」
「さあ、そこまでは。しかし、あんたらが調べてるのは呪いなんだろう? あのお山が呪われてるっていうことかい?」
「気分を害したのなら謝ります。呪いという言い方には確かにいい響きがありませんからね」
「いやいいよ。よくわからないものに呼ばれて消えちまう森っていうのは、まあそう言われてもしかたがないかもしれないからねえ。けれど、わたしたちには大切なお山だから、あまりそういうことを広められるのはねえ」
「その点は大丈夫ですよ。先生の研究は極めて個人的なもので、それを誰かに言いふらすなんてことはしませんから」
何故か隣りにいるやつが勝手に代弁しているし、いろいろと間違っている気がするが放っておく。
「それはまあ……ほんとに酔狂なんだねえ」
呆れたような老婆のその言葉に否定するのも面倒だったのでそういうことにした。
ことの始まり 中編
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