ことの始まり 中編

「先生、そろそろ着きますよ」
 その言葉に風景がだいぶ変わっていることに気付く。
 自分は免許を持たないので、運転しているのは勝手についてきているほうだ。
 勝手についてくる以上そのくらいはしてもらうと言ったらあっさり了承して以来そのままだ。
 車は駅付近で借りたレンタカーで、運転を押し付けてつらつら考え事をしていたら目的地に着いたらしい。
 遠目から見るとありふれた田舎のように見える。
 古き良きといえば聞こえはいいが、こういう土地は過疎化と高齢化が進んでいるだろうし暮らすにはなにかと不便だろう。
 仕事を辞めたら田舎に、ということを気軽に言う連中はそういうところを知ってから言うべきだと思う。
 しかし、自分にとってはこういう田舎に残っている伝承というものに対してだけは興味がある。
 それが残っているうちに記録しておくという意味では、例え対象が極端でも何処かでは意味があるのかもしれないが、自分で言っておきながらそういうことにはさして関心がなかった。
 研究はあくまで自分のためにしていることだ。その成果を何処かで発表する気もない。
 ついでに出世にも興味がないし権力なんてものは煩わしいだけだ。
 だから講師といういまの位置がちょうどいいのだ。
 駐車場に車を止めて、目的地についたところで話を聞けそうな相手を探す。
 寒村というほど寂れてはいないのでそれなりに人影はあり、シャッターが降りている店も多いが商店街らしい名残もある。
 休日ではあるが目につく人間はそれなりに歳がいったものが多く、若いものの姿はほとんど見かけない。
 若者が遊べそうな娯楽施設があるとは思えないから、そういうものは近場の街に行くのだろう。
 自分は持っていないが携帯の電波は通じますよと極めて当たり前のことを言われたときは呆れを通り越しそうになった。
 田舎だからといって携帯が使えない場所などいまの日本では限られてるだろうに。
「先生、とりあえずなんか食べませんか?」
 その呆れ果てたやつの主張は、それなりの時間運転していたのだから正しい。
 手頃な定食屋に入って自分はそばを、相手はオムライスをうまそうに頬張った。
「お客さん、遠くから来たのかい?」
 混み合う時間は過ぎていて、客が自分たちだけだからか店の女性がそう聞いてきた。
 見慣れない客がいればそれは余所者、というくらいの人口なのがそれだけ知れる。
「大学のフィールドワークです」
 お前が答えるなと言いたかったが、放っておく。
「大学の? こんなところでなにかあるのかい?」
「えーと、なんか古い言い伝えがあるって」
 そう言うと、特に不快そうな顔をするでもなく「ああ」といった。
「たまーに来たねえ、そういう人。でも、お客さんたちが期待するような話、あたしはよく知らないんだよねえ」
「え、ないんですか?」
 露骨に失望したのが伝わったのだろう、気の良さそうな女性は慌てて手を振った。
「ないとは言ってないよ。うちの母が祖母に聞いたとかそういう古い話でね。あたしたちはその話を聞いたこともあまりないんだよ」
 ありえる話だと会話を聞きながら分析する。
 こうやって消えていく伝承というのは少なくない。
 だが、それではネットでの噂というのと矛盾する点は引っかかった。
「横から失礼。その言い伝えについて熱心に調べている若者などはいないのか?」
「いたら知ってると思いますけどねえ、そもそもここには若いのもだいぶ減っちまったし」
「じゃあ、昔ここに住んでいたものの中には」
「いたかもしれませんけどねえ。あたしは知りませんねえ」
 ネットの発信源についての情報は得られないと判断してその話は切り上げる。
「その噂を聞いてたまに来るという連中はあなたに話を聞いたりすることはあったんですか?」
「まあ、あったけどねえ……あんまり真面目そうじゃない冷やかしみたいなのは好きじゃなくてね。そんなものはないですよで帰ってもらうのがほとんどでねえ。でも、大学からわざわざ研究で来たんならそれは失礼だし」
 さっきの不用意な発言が逆に効果的だったわけか。
「では、その言い伝えについて話を聞ける人に心当たりは」
「それならうちの母でいいなら紹介しますよ。歳の割にはまだまだ元気でねえ。たまにはそういう古い話を思い出すのもボケ防止になっていいと思うし」
 ということは、いまはそういう心配もなく記憶もはっきりしているわけか。
「そのお母様というのはこのお店に?」
「隣に家があってそこにいるから案内しますよ」
 店のほうはいいのかと聞くのはたぶん野暮なのだろう。ひとまず好意に甘えることにした。



目次